面識のない方のご遺体を前に時間を共にする不思議

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| 田舎でのご不幸発生

 
 
昨日、突然、妻に電話がかかってきました。
 
内容は、「〇〇さんとこでご不幸があった」というもの。
電話をかけてきたのは、区長さん。
私たちが居を構えている集落の区長です。
 
 
田舎なまりが激しくて、その内容がイマヒトツ理解できない妻。
私が電話を代わることに。
 
 
昨年も1回あったのですが、
この集落では、どこかの家にご不幸があると、
その当日、つまりお通夜などの前に、近隣の家が集まり、
 
その家で、通夜をどうするか、葬儀は、
そして、それらの周知の方法は、アナウンス原稿は・・・
 
近隣の家の人たちが集まって、ご遺体がある部屋で、
1時間ほど会合が行われるワケです。
 
 
いまのところ、お亡くなりになる人は、
私たち夫婦にとって面識のなかった方ばかり。
 
昨日のおばあちゃんもそうでした。
 
そこに、呼ばれていき、
知らない方の通夜や葬儀の相談事を聞いている。
 
 
この時間、なかなか不思議な時間です。
 
 
 
 

| 慣習と現実の狭間

 
 
 
ご年配の方と話すと、
昔は、日本のどこでも、同じような慣習があった、と聞きます。
 
それがまだ残っているということに、
驚かれることもしばしば。
 
 
しかし、昨夜も感じたのですが、
慣習と現実の狭間で、この集落でも戸惑いがあるようです。
 
 
昨夜の場合は、葬儀は家族葬で行い、場所は葬儀ホール。
通夜は、家で行うが、それも家族だけで。
香典や花は辞退したい、という内容。
 
 
集落の慣習としては、
通夜も葬儀も家で行い、それを集落が総出で手伝い、
葬儀が終わって、火葬場にご遺体が運ばれる出棺の時には、
集落の主な道では、出棺を報せる鐘を鳴らす。
 
それが一つのパターンとしてあるようです。
 
 
ですが、現実は、葬儀会社が通夜から葬儀を取り仕切り、
そのため、家からの出棺も、そのタイミングが存在しない。
 
もちろん、葬儀会社がいて、家族葬ですから、
集落の人が、何かを手伝うというタイミングも存在しない。
 
 
 
正直に言えば、私の立場からすれば、
面識のない方の葬儀を手伝うということ自体、
違和感がありますので、
 
昨夜のケースで、結果、集落は何もすることがないというのは、
当然だと思うんですが、地元に人からすると、
逆に、そこに違和感があるようでした。
 
 
 
 

| 戸惑う移住者

 
 
 
日本は、「家」、という単位で成り立っている。
そんな話は、教科書の中の話、くらいの感覚で、
東京で暮らしてきました。
 
 
しかし、田舎に住んでみると、
なるほど、「家」という単位というのは、
こういうことか、と、
まだその概念が生きていることを実感します。
 
 
各家から誰かが葬儀の相談に参加する。
各家から誰かが葬儀の手伝いに出る。
 
葬儀以外でも、
 
各家から誰かが、お寺の掃除に出る。
各家から誰かが、氏神さんの例祭に出る。
各家から誰かが、草刈りに出る。
 
各家から・・・
 
 
この考え方が、頻出する。
それが、日本の田舎とも言えます。
 
 
と、まあ、
このくらいは適応できる範囲でもありますが、
 
さすがに、一度も面識のない方のご遺体を前に、
お悔やみを述べに行くというのは、戸惑いますね(笑)

maniaque

1973年青森生まれ、兵庫県姫路育ち。京都、仙台、福山、東京と居を移しながら、写真家、書店員、企画職のビジネスマン、経営コンサルタントなどを経て、2007年に起業。2015年に妻と京都丹波に居を移す。そこから会社は東京、住居は京都丹波という2拠点生活に。現在は、会社経営、顧問、共同代表など色々な仕事に関わる。

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